ネット者クラブイベント盛衰史 ver1.04
文責:鈴木芳樹
起稿:2001年2月26日
最終更新:2001年3月8日
はじめに
「むかしのネット系音楽イベントについて教えてほしい」というリクエストが複数のひとからあったので、自分が参加したものを中心に、ざっとまとめてみました。あからさまに事実誤認している箇所があったら、ご指摘ください。何らかの意味でメルクマールとなったイベントを優先しているので、かならずしもすべてを網羅しているとはかぎりません。ご諒承ください。
もしかしたらニフティーなんかでは、下とは違った動きがあったのかもしれないけど、そちらはまったく知りません。
あと勢いにまかせて書いたので、ふだんのオレの文章とはちょっと文体が異なっています。「ナントカ系」とか「ネット者」って、好きな言葉じゃないんだけどね。
黎明期
1994年?
このころpostpunk MLが、多摩川河川敷でパーティーを開いたといった話を聞いた覚えがある。しかしまったく詳細不明。実際に参加したひとがここを読んでいたら、ぜひともご連絡ください。
と書いてから数日後、TFJさんの談話室に、「ネット者クラブイベント前史」に関する詳しい書き込みがありました(Sun
Mar 4 23:35:10 2001 )。オレが下手にまとめるよりは、当時を知っているひとの肉声に触れたほうが確実なので、関心のあるかたは参照なさってください。
1995年3月
ロック、映画、アダルト(アニメ系CGとかじゃくて、フーゾクとかね)といったサブカル系の話題に的を絞ったネットガイドブック『ネット・トラヴェラーズ '95』(翔泳社)が出版される。ネット関連書籍といえばビジネスマン向けのものか、純然たる技術書しかなかった当時としては、劃期的な内容。この本がきっかけでネットにアクセスするようになったひとも多い。オレもだけど。
なおこの本のメインライターは、いまではOOPS!を主宰している川崎和哉さん。時代は断絶しているようでいて、きちんと繋がっている。
同月、Technoheads ML(テクノ系の老舗ML)の主宰で「In
Dust-Real」がスタート。CU-SeeMeによる中継など、かなり先駆的なことをやっていたようだが、行ったことがないので詳しいコメントはできず。
1995年9月
『ネット・トラヴェラーズ '95』の出版記念イベント「Second Summer of Web」が歌舞伎町Automatixで開催される。ネットをベースにした、初の本格的なクラブイベント。このころはサブカル系に詳しいネット者の絶対数が少なかったので、キーパーソンのほとんどは参加してたんじゃなかろうか。『ネット・トラヴェラーズ
'95』に編集協力として名を連ねており、のちに大量の音楽系MLを管理することになるモーリさんとは、この日が初対面(といっても、すれ違っただけ)。最近になって、クーロン黒沢も来ていたことを知る。へぇ。
このイベントのDJやスタッフは、IN Dust-Realとかかわりの深いひとたちだったらしい。なるほど、そう繋がっているわけか。
1996年3月
渋谷系の音楽全般を扱うpwm MLの管理人である渡部さんが、仕事で上京することに。「ただ宴会をやるだけじゃなく、何か思い出になることを」と、大久保MistyでML主宰のクラブイベント「pwm
party」を行う。DJはもちろん、ドリンク等もすべてMLのメンバーが用意した、純度100パーセントのネットイベント。オレの初DJもこれ。場の雰囲気を考えずに、PiLとかツェッペリンとかYMOの「ノイエ・タンツ」を廻してしまう。渋谷系のMLだってばよ。
なおpwm MLは、『ネット・トラヴェラーズ '95』で紹介されてからメンバーが増えた。オレもその繋がりで入会(正確にいえば、微妙に違うんだけど)。
なおこのイベントがクラブ貸切とせず、建前上は誰でも入場可としたことが、のちに与えた影響は大きいと思う。クローズドなんだけど、オープンな空間というか。実際、pwm
MLのメンバーではないけれど、メンバーの誰彼と個人的に親しいといったひともたくさん訪れた。
ほぼ同時期に、postpunk MLも恵比寿colorsでイベントを開催した模様。このふたつのイベントが現在に連なる「ネット者クラブイベント」の嚆矢ということになっている。
1996年4月
コーネリアスのMLであるapes MLがモーリさんの管理で本格スタート(現在では管理人交代)。日本のコジャレたミュージシャンを対象にした初のMLなので、そっち系の話題全体でえらくトラフィックが爆発する。Windows95のおかげか、まったくのパソコン初心者が多かったのも特徴。初期のRock.jp(後述)の参加者は、apes
MLのメンバーが多数を占めていた。
1996年8月
pwm MLやpostpunk MLとメンバーがダブるUS-Indie MLが、同じく大久保Mistyでイベントを開催。pwm partyの成功(もちろん商業的な意味ではない)が、呼び水になったと考えていいだろう。
隆盛期
1996年10月
pwm MLで交わされたFAQがもとになった、『渋谷系元ネタディスクガイド』(太田出版)が出版される。オレの初の著書。共著だけどさ。
1996年11月
これまで取り上げてきたMLとやはりメンツがダブる(繰り返すけど、当時はこの手の音楽を聴いているネット者の絶対数が本当に少なかったのよ)Rock.jpMLの管理人のモーリさんと、エレカシMLなどの管理人のアラカワさんが、日本のロックをメインとするイベント「Rock.jp」を西池袋マダムカラスで開催する。平日開催ということもあり、当初は客よりもDJの数が多い日もあったが、いまでは下北沢Queで100人を集めるイベントに成長する。「ネット者クラブイベント」の一番の成功例かもしれない。
このあと、Rock.jpに刺戟されたさまざまなイベントがマダムカラスで開催されるが、「名前が違うだけで、客もDJもかかる曲もほとんど一緒」という状況が続いたので、次第にRock.jpに一本化されていった(気がする)。
1997年5月
「渋谷系ML管理人座談会」が収録された、『Mailing Listカタログ』(技術評論社)が出版される。オレの2冊目の著書。共著だけど。知り合いの知り合いをたどれば主要な音楽系・サブカル系のMLの管理人はほぼ網羅できた、平和な時代の産物。
同月、池袋マダムカラスでBROADCASTというイベントが開かれる。たぐのDJをはじめて聴いたということもあり、個人的に思い出深いイベント。
1997年7月
Rock.jpが開催場所を西池袋マダムカラスから経堂URGEに移す。そのころ住んでいた千歳船橋のアパートから徒歩10分だったので、とても便利だった。
postpunk MLやTechnoheads MLとは人脈的なつながりの薄い音楽MLのあいだでも、「ありきたりなオフ会をやるくらいなら、クラブを借りてイベントを開こう」という動きが少しずつ広まっていく。
1997年9月
Rock.jpが「エレカシナイト」を開催。19:00から翌日の5:00に及ぶ、長時間のイベント。ネットとは特に関係のなさそうな普通のオンナノコが大挙して押し寄せて大変なことに。これがRock.jpが一般に浸透するきっかけだったのだろう。
1997年12月
Rock.jp(ならびにその周辺のイベント)がポップス寄り、コジャレ系であることに飽き足りない一群が、テクノ寄り、ヤサグレ系のイベント「漢ナイト」を幡ヶ谷Heavy
Sickでスタートさせる。DJが全員全裸という、ダメすぎる趣旨に多くの者が涙する。客のなかにも自発的に脱ぎ出す者が。オレもだけど。全裸でモッシュするのは、すげぇ快感ですよ。
爛熟期
1998年3月
apes MLから派生したチャット部屋の面々が中心となって、20人のシロウトDJが15分ずつ皿を廻す「クラブヤング」が蒲田オッタンタで開催される。オレも廻す。これ以降、安くて敷居の低いハコとして、オッタンタがネット者に愛用されるようになる。
このころから、孫世代が開催するイベントが増えた気がする。
ちなみにオレのイメージでは、
- 親世代:postpunkやTechnoheadsにばりばり投稿していたひと
- 子世代:親世代と96年ごろから親しくしていたひと(オレはこの世代)
- 孫世代:子世代とは親しいけど、親世代との交流は薄いひと
という感じ。クラブヤングも孫世代によるイベント。
またMLよりはむしろ、Web掲示板やWebチャットで交流を深めていたのも、孫世代の特徴であろう。
イベントがクラブミュージック寄りとポップス寄りに、オフ会ノリ重視とスキル重視に二極化していったのも、このあたりから。
1998年7月
しばらく活動を休止していたRock.jpが、青山MIXにて再起動。95年〜96年に活躍していた音楽系ネット者のほとんど全員が一堂に会する。そしてこれ以降、「95年〜96年に活躍していた音楽系ネット者のほとんど全員が一堂に会する」ようなイベントはなくなる。特に親世代の一部は、この種のイベントにはあまり顔を出さないようになった。
なおRock.jpが青山MIXで開催されたのは、この回のみ。次回からは下北沢Queのレギュラーイベントとして2ヵ月に1回のペースで開催されるようになり、現在にいたる。
そして1週間後に、渋谷宙で「89/98」が開催される。オレはこっちには行けなかったんだけど、青山MIXでのRock.jpが旧世代が強まった最後のイベントで、「89/98」が新世代が強まった最初のイベントだという印象がある。「89/98」に関しては、瀧坂さんのレポートが雰囲気をよく伝えています。
1998年11月
オレが主宰する初のイベント「メガネスクール」が蒲田オッタンタで開かれる。思いっきり内輪なノリなのに、DJ陣のスキルは高いという(オレ以外)、ある意味では理想的なイベントになった。
拡散期
1999年3月
佐藤伸治急逝の報を受けて居ても立ってもいられなくなったRock.jpスタッフが、「フィッシュマンズナイト」を急遽開催。
同月、高円寺Club Dolphinで「ときめき☆トゥナイト」が開催される。これを機にサブカル系のみならず、オタク系のネット者もクラブイベントに進出し、ますます訳がわからない事態に。このあとの「コジャレ系」と呼ばれるタイプのイベントに関しては、ムネカタさんのレポートが丁寧にまとまっています。オレはもう把握できんよ。
1999年11月
オレが東京から新潟に引っ越すのを機に、「メガネスクール☆卒業式」が挙行される。告知にまったく力を注がなかったので、DJ陣のスキルの高さ(もちろんオレ以外)と、フロアの雰囲気のぬるさのギャップが最高潮に達する。
とりあえずのまとめ
やはり98年7月がひとつの転機だったと思う。それまでのネット者クラブイベントといえば、postpunk MLやTechnoheads MLの流れに何らかのかたちで属する人間が中心となっていた。この流れのひとつの頂点が、青山MIXのRock.jpといえる。しかしこれ以降は「89/98」を皮切りに、「老舗のMLなんて知らねーよ!」な若者たちがWeb掲示板やWebチャットなどで結びつき、それまでの流れとは関係なくイベントを開催するようになった。
そして99年からはオタク系も参入して、さらなるカオスが。その一方で歴史の古いMLを母体としたイベントもなくなったわけではないのだが、Rock.jpを例外として、内輪ノリの強いものになりつつある。